【ゲゲゲの謎 感想】3回目見に行ったので、今までのメモの整理⚠️ネタバレ注意⚠️▼龍賀の一族、特に龍賀の女たちについてみんな加害者で、みんな時貞の被害者だった。龍賀の威光に縋りつかないと自分が被害者だったことに気づいてしまうから、自分より弱い人間を踏みつけることでその事実から目を背けている。龍賀の人間は自分の人生を“龍賀”に踏みつけられてきたけど、歯を食いしばって強くなれば今度は他人の人生を自由にできるようになる。水木が「弱いものは馬鹿を見る だから誰にも踏みつけられない力が欲しい」の構図と同じだ。水木と乙米の違いって、自分が踏みつけられてきたからと言って同じように他人を踏みつけることはしないと言う善性を持ち合わせているかどうかだと思った。「ここまで醜悪な一族に憧れていたなんて」は、そのまま龍賀への軽蔑でもあり、権力の醜さを思い知った瞬間かも。これが最後の、時貞への「あんたつまんねぇな」に繋がるのかな。時貞から提示されたものたちは、当時の人間にとって本当にどうしようもなく喉から手が欲しいものだっただろうに、それに対して斧を振り翳せる水木の強さよ。close▼龍賀乙米長女と言うことで「龍賀の女の役割」を一番重く背負ってきたのかもしれない。だからこそ、傷つきに傷ついてきて、その事実から目を背けるために龍賀の名前に執着していったのだろうと思っている。本編で何回「栄えある龍賀の」って言ったよ。乙米は「大義のために死ねるのだから本望」と言っているけど、その大義のために自分も傷つけられてきたことにどこまで気づいていたのだろうか。・乙米と長田主従愛を貫き通しながら最後には「乙米様」と名前を呼ぶのって、長田にとって乙米は「龍賀の女」ではなく、ただひとりの愛した女だったんだ...自分を縛ってきた母親が自分が心底欲しかった「運命の人」の存在を得ているのって沙代からすれば恨めしいことこの上ないね。娘は母を殺し、その仇を母を愛した男がとる。そこに庚子の存在も加わり出すので、泥沼すぎて頭を抱える。これはただの妄想だけど、若い頃、長田への想いを周りに鼻で笑われたことがあったら辛い。沙代にかけてきた言葉は全て自分がかけられてきた言葉かもしれない。だから、自分と同じような人生を辿ってきた、辿っていく沙代が幸せになってしまうと自分の人生の意味が失われるから、誰も沙代が幸せになることを望まない。・龍賀姉妹乙米は妹たちに対しては、少し優しい感じがした。時麿が死んだ時は取り乱さなかったけど、丙江が死んだ時には名前を叫びながら大きく取り乱しているし、なんだかんだ生活の面倒を見ている。孝三に対しては容赦無く心を壊しておきながら、庚子には言葉はきついながらも3日の猶予を与えて、無理やり攻撃をするわけではない。「龍賀の女」として生まれた妹たちへの同情なのか、長女の自負から生まれる蔑みなのか。でも、明らかに男たちへの態度より優しく感じたので、本人的にも「龍賀の女」という存在に思うところはあるのかもしれない。洋室で三姉妹がそろっている様子がなんか良かった。この部屋によく3人で集まってたのかもしれないし、窮屈な家の中での数少ない逃げ場だったのかもれない。そしてそこに立ち入ることができる長田。信頼が見える。乙米の人生が悲惨であればあるほど良いなと思っているけど、別に同情したいとか擁護したいとかではなく。ただ、そういう人生だったら龍賀に縋りつく意味が強くなってくるので。男しか当主になれない中で、女の自分が龍賀の家に存在する意味に縋り付いている気がした。あれだけ逞しく家のために家を仕切っている姿には色々思うところがある。龍賀の一族の描き方が絶妙でとても良かった。とことん酷い人たちだったし、終わり方も悲惨なものだった。なので、勧善懲悪として良い展開だったし、その展開にノイズにならない程度の「龍賀の人間はどんな人間だったのか」を想像させるの情報の散らし方がちょうど良くて...その撒き餌にまんまと引っかかって、龍賀の女たちのことを考えるのが止まらない。close▼龍賀丙江沙代の「東京に行ったって自由はない」の考えを植え付けた人間だと思っている。駆け落ちして、一度は村の外に出て「龍賀の女」であることを捨てられた人間。でも、結局逃げられなかった。丙江が家に帰ってきた時、姉妹たちは何を思ったかな。龍賀を捨てるなんてバカだなと笑ったか、自分たちの人生はどこまで行ってもここから逃げることはできないんだと思い知らされたのか。龍賀のことだから駆け落ち相手は殺しているだろうなと思う。連れ戻されたと言うより、結局この村しか居場所がなかったから自主的に帰るしかなかったが正しいのかもしれない。もし駆け落ち相手が殺されているのなら、殺したのは長田あたりの人間だろうな。(また頭を抱える)他の人間がピリピリしている中でずっと朗らかに笑っているからどんな人なんだろうと思ったけど、蓋を開けてみればただ人生を諦めていただけだった。沙代と水木が並んで歩いているところを見ながら笑って床に倒れ込むシーンが辛い。自分の過去を重ねながら「あーあ、どうせ幸せになれないのに。馬鹿だな」って思ってるのかも。そして、揶揄うだけならまだしも脅しにかかるってのが不幸の連鎖すぎる。私は幸せになれなかったんだから、お前も幸せになるなと言う足の引っ張り合い。次世代へ希望を繋ごうとする主人公サイドと対になる考え。close▼龍賀庚子何ひとつ自分のものを持てなかった三女。村長の家に入り、龍賀の家の人間ではなくなり、旦那も自分に感情を向けることはない。自分の人生も自分のものではなく、龍賀のもの。その中で息子だけが自分のものだった。庚子の件で辛いなと思うのは、将来、時弥の人生を自分の思い通りにしようと縛り付ける親になっただろうという想像が容易にできるところ。長田の家に入ったから龍賀の家の人間ではなくなったのに、龍賀の人間であることをやめられない複雑な人間。丙江と同じく、どこへ行っても龍賀の女であることをやめられない。だから時弥が次の当主になることを喜んだ。なぜなら、また家へのつながりが生まれたから。家へのつながりが回復することでこ「龍賀の人間」という自分のアイデンティティを回復できると思ったのかな。庚子って宙ぶらりんって印象が強かった。家を出てしまったから、乙米ほど家に対して盲信的になれる環境が無く、どこにも縋りつけないのに、どこにも逃げられない。乙米は家に縋り、丙江は人生を放棄し、庚子は息子に縋る。華やかさの裏側で、この家の人間は誰も幸せになってない。close▼龍賀沙代泣きながら水木の首を絞めるシーンが映画の中で一番好きです...全て自分の手で終わらせてやる、愛した人でも自分を踏みつけるのなら許さないという強い意志。親指を喉仏にかけて、確実に殺しにきてる。首の締め方が的確すぎる、一体誰から学んだの...水木に対しての感情が「恋」だったのかはずっと考えている。ここから連れ出してくれる人間だったら誰でも良かったのか、水木じゃなければいけなかったのか。でも、「幽霊族の人を助けに戻るの」と尋ねるほど水木がどういう人間かよく理解していたので、沙代は水木のことをどういう人間かちゃんとしっかり見ていたんだなと思って色んなあれそれが辛くなる。沙代はこの中では一番弱い立場の女だったから、姉妹たちの負の感情を受けやすく、その結果があれなんだろうな。切れた鼻緒のように、もうすでにボロボロで明日にも壊れてしまいそうな紗代を繋ぎ止めてくれていた水木。ただそれだけで、沙代にとって水木は救いだった。龍賀の家へ向かう水木の背中を見る紗代の「この人だ」と覚悟を決めた目が強い。・水木が沙代から目を逸らす場面水木は沙代に対して終始嘘はついていない。絶妙に言葉を濁している、ずるい大人だ〜。沙代が水木を見つめた時に、いつもと同じく嘘はつかないが沙代が本当にかけてほしい言葉はかけない選択をとれたはずなんだけど、水木はその選択をしなかった。これは、ゲゲ郎から教わった愛情に対しての誠意の示し方だと思っている。水木なりの不器用な。あそこでのらりくらり交わすのは違うだろからね。目を逸らすことは、悪手だったけど、正解だったと思う。嘘をつかず、今までの行為に対してきちんと沙代からの報いを受けるまでがセットだった(意図してではなく結果として)。この後に、狂骨に襲われる医師たちが「お許しを」って言ってたけど、ここに重なってるなと感じた。謝ったとて許されることではない。沙代は水木のことを殺したかっただろうけど、戦争から生き残ったことに対して思うところがある水木にしてみれば、沙代のことを救えずまた生き残ってしまったことの方が贖罪としてはよっぽど適しているなとは思う。水木は沙代だけを見てくれる存在ではなかったかもしれない。でも、沙代と時弥を救いたいと思い沙代の置かれた環境に対して怒ってくれる大人ではあったってのが悲しい。沙代の求めた愛ではなかったかもしれないけど、れっきとした愛情だった。妻から人を愛することを教わったゲゲ郎が、今度は水木に人を愛することを説き、沙代の一件で反省をし、最後には鬼太郎を育てる選択を取れるようになるつながりが美しすぎた。特典の水木見ると、本当に泣いてしまう。何この愛情に満ちた笑顔は。close▼「誰しもいつかは運命に巡り合う」これはただのメモですが、もし運命の人というのがこの世にたった1人しか存在しないのなら、ゲゲ郎の運命の人は妻、水木の運命の人はゲゲ郎、紗代の運命の人は水木だったな〜。運命の人が対になるなんて保証はないし、運命の人というのは自分の人生を変えていく人間のことを言うのだなと思った。突然自分の前に現れて、勝手に自分の人生を変えていく存在。あと、ただのこじつけかもしれないけど、龍賀の女の運命の相手のカラーリングが、濃色(水木→グレー/長田→紺)に赤の差し色なの良い。そしてその男の運命の相手は青系の色っていう。(ゲゲ郎→水色/乙米→青)岩子を抱えて村を出た水木が、再び墓に埋めてあげるために岩子を抱えるの泣いちゃった...そして、いつも水木はゲゲ郎に対しては何もできていないんだよな...墓に埋めてやることすら。でもゲゲ郎から「友のいる世界をこの目で見てみたくなった」の言葉を引き出した男だから、きっとそれだけで十分だったんだ。あと「必ず戻ってくると約束しろ」の約束を守ったの、ゲゲ郎ってどこまでも誠実な男だなって思った。close▼家系図十干から娘の名前をとっているのなら、乙米の上に本当の長女が居たはず...あと、少なくとも丁・戊・己の字が入った人がいるはず。乙米は本当の長女が家から存在を無かったことにされた様子を見て何を思ったかな...この家の子供達はこんなに簡単に存在をなかったことにされるんだと絶望を抱いたのなら、龍賀に縋り付く意味がより強くなるな。相関図で、本当の家族じゃない人は線の色が違うって情報を見て(ソース分からん)また頭を抱えた。手っ取り早く解釈すると、沙代、時弥は母と時貞の子供ってことだろうな。だけど、沙代、時弥のキャラデザがあまりに似ている(目元、ほくろ)ので母親同じなんじゃなかな...とか思ったり。この相関図に入ってない女と時貞の子供で、養子に入ってるとかもあったり...そうなると庚子が時弥に執着する理由がさらに複雑になってくるので、ほんと...でもまあ、若い時の丙江の目元が2人に似ているから、単純に祖母の血を引いているだけかも。closeなんかアクション映画見たいな〜って気分だったので、アクション作画が良いらしいという理由と水木の声が木内さんなんだ〜って軽い理由で見に行ったらまあ大変。公開3日後に行った時と公開2週目に行った時、比にならないくらい人入っててびっくりした...ぜひロングラン映画になって...#ゲ謎 感想 2023/12/03(Sun) 17:51:16
3回目見に行ったので、今までのメモの整理
⚠️ネタバレ注意⚠️
みんな加害者で、みんな時貞の被害者だった。
龍賀の威光に縋りつかないと自分が被害者だったことに気づいてしまうから、自分より弱い人間を踏みつけることでその事実から目を背けている。
龍賀の人間は自分の人生を“龍賀”に踏みつけられてきたけど、歯を食いしばって強くなれば今度は他人の人生を自由にできるようになる。水木が「弱いものは馬鹿を見る だから誰にも踏みつけられない力が欲しい」の構図と同じだ。
水木と乙米の違いって、自分が踏みつけられてきたからと言って同じように他人を踏みつけることはしないと言う善性を持ち合わせているかどうかだと思った。
「ここまで醜悪な一族に憧れていたなんて」は、そのまま龍賀への軽蔑でもあり、権力の醜さを思い知った瞬間かも。これが最後の、時貞への「あんたつまんねぇな」に繋がるのかな。時貞から提示されたものたちは、当時の人間にとって本当にどうしようもなく喉から手が欲しいものだっただろうに、それに対して斧を振り翳せる水木の強さよ。close
長女と言うことで「龍賀の女の役割」を一番重く背負ってきたのかもしれない。だからこそ、傷つきに傷ついてきて、その事実から目を背けるために龍賀の名前に執着していったのだろうと思っている。本編で何回「栄えある龍賀の」って言ったよ。
乙米は「大義のために死ねるのだから本望」と言っているけど、その大義のために自分も傷つけられてきたことにどこまで気づいていたのだろうか。
・乙米と長田
主従愛を貫き通しながら最後には「乙米様」と名前を呼ぶのって、長田にとって乙米は「龍賀の女」ではなく、ただひとりの愛した女だったんだ...自分を縛ってきた母親が自分が心底欲しかった「運命の人」の存在を得ているのって沙代からすれば恨めしいことこの上ないね。娘は母を殺し、その仇を母を愛した男がとる。そこに庚子の存在も加わり出すので、泥沼すぎて頭を抱える。
これはただの妄想だけど、若い頃、長田への想いを周りに鼻で笑われたことがあったら辛い。沙代にかけてきた言葉は全て自分がかけられてきた言葉かもしれない。
だから、自分と同じような人生を辿ってきた、辿っていく沙代が幸せになってしまうと自分の人生の意味が失われるから、誰も沙代が幸せになることを望まない。
・龍賀姉妹
乙米は妹たちに対しては、少し優しい感じがした。
時麿が死んだ時は取り乱さなかったけど、丙江が死んだ時には名前を叫びながら大きく取り乱しているし、なんだかんだ生活の面倒を見ている。孝三に対しては容赦無く心を壊しておきながら、庚子には言葉はきついながらも3日の猶予を与えて、無理やり攻撃をするわけではない。
「龍賀の女」として生まれた妹たちへの同情なのか、長女の自負から生まれる蔑みなのか。でも、明らかに男たちへの態度より優しく感じたので、本人的にも「龍賀の女」という存在に思うところはあるのかもしれない。
洋室で三姉妹がそろっている様子がなんか良かった。この部屋によく3人で集まってたのかもしれないし、窮屈な家の中での数少ない逃げ場だったのかもれない。そしてそこに立ち入ることができる長田。信頼が見える。
乙米の人生が悲惨であればあるほど良いなと思っているけど、別に同情したいとか擁護したいとかではなく。ただ、そういう人生だったら龍賀に縋りつく意味が強くなってくるので。男しか当主になれない中で、女の自分が龍賀の家に存在する意味に縋り付いている気がした。あれだけ逞しく家のために家を仕切っている姿には色々思うところがある。
龍賀の一族の描き方が絶妙でとても良かった。
とことん酷い人たちだったし、終わり方も悲惨なものだった。
なので、勧善懲悪として良い展開だったし、その展開にノイズにならない程度の「龍賀の人間はどんな人間だったのか」を想像させるの情報の散らし方がちょうど良くて...
その撒き餌にまんまと引っかかって、龍賀の女たちのことを考えるのが止まらない。close
沙代の「東京に行ったって自由はない」の考えを植え付けた人間だと思っている。駆け落ちして、一度は村の外に出て「龍賀の女」であることを捨てられた人間。でも、結局逃げられなかった。
丙江が家に帰ってきた時、姉妹たちは何を思ったかな。龍賀を捨てるなんてバカだなと笑ったか、自分たちの人生はどこまで行ってもここから逃げることはできないんだと思い知らされたのか。
龍賀のことだから駆け落ち相手は殺しているだろうなと思う。連れ戻されたと言うより、結局この村しか居場所がなかったから自主的に帰るしかなかったが正しいのかもしれない。もし駆け落ち相手が殺されているのなら、殺したのは長田あたりの人間だろうな。(また頭を抱える)
他の人間がピリピリしている中でずっと朗らかに笑っているからどんな人なんだろうと思ったけど、蓋を開けてみればただ人生を諦めていただけだった。
沙代と水木が並んで歩いているところを見ながら笑って床に倒れ込むシーンが辛い。自分の過去を重ねながら「あーあ、どうせ幸せになれないのに。馬鹿だな」って思ってるのかも。
そして、揶揄うだけならまだしも脅しにかかるってのが不幸の連鎖すぎる。
私は幸せになれなかったんだから、お前も幸せになるなと言う足の引っ張り合い。次世代へ希望を繋ごうとする主人公サイドと対になる考え。close
何ひとつ自分のものを持てなかった三女。
村長の家に入り、龍賀の家の人間ではなくなり、旦那も自分に感情を向けることはない。自分の人生も自分のものではなく、龍賀のもの。その中で息子だけが自分のものだった。
庚子の件で辛いなと思うのは、将来、時弥の人生を自分の思い通りにしようと縛り付ける親になっただろうという想像が容易にできるところ。
長田の家に入ったから龍賀の家の人間ではなくなったのに、龍賀の人間であることをやめられない複雑な人間。丙江と同じく、どこへ行っても龍賀の女であることをやめられない。だから時弥が次の当主になることを喜んだ。なぜなら、また家へのつながりが生まれたから。家へのつながりが回復することでこ「龍賀の人間」という自分のアイデンティティを回復できると思ったのかな。
庚子って宙ぶらりんって印象が強かった。家を出てしまったから、乙米ほど家に対して盲信的になれる環境が無く、どこにも縋りつけないのに、どこにも逃げられない。
乙米は家に縋り、丙江は人生を放棄し、庚子は息子に縋る。
華やかさの裏側で、この家の人間は誰も幸せになってない。close
泣きながら水木の首を絞めるシーンが映画の中で一番好きです...
全て自分の手で終わらせてやる、愛した人でも自分を踏みつけるのなら許さないという強い意志。親指を喉仏にかけて、確実に殺しにきてる。首の締め方が的確すぎる、一体誰から学んだの...
水木に対しての感情が「恋」だったのかはずっと考えている。ここから連れ出してくれる人間だったら誰でも良かったのか、水木じゃなければいけなかったのか。でも、「幽霊族の人を助けに戻るの」と尋ねるほど水木がどういう人間かよく理解していたので、沙代は水木のことをどういう人間かちゃんとしっかり見ていたんだなと思って色んなあれそれが辛くなる。
沙代はこの中では一番弱い立場の女だったから、姉妹たちの負の感情を受けやすく、その結果があれなんだろうな。
切れた鼻緒のように、もうすでにボロボロで明日にも壊れてしまいそうな紗代を繋ぎ止めてくれていた水木。ただそれだけで、沙代にとって水木は救いだった。
龍賀の家へ向かう水木の背中を見る紗代の「この人だ」と覚悟を決めた目が強い。
・水木が沙代から目を逸らす場面
水木は沙代に対して終始嘘はついていない。絶妙に言葉を濁している、ずるい大人だ〜。
沙代が水木を見つめた時に、いつもと同じく嘘はつかないが沙代が本当にかけてほしい言葉はかけない選択をとれたはずなんだけど、水木はその選択をしなかった。これは、ゲゲ郎から教わった愛情に対しての誠意の示し方だと思っている。水木なりの不器用な。あそこでのらりくらり交わすのは違うだろからね。
目を逸らすことは、悪手だったけど、正解だったと思う。嘘をつかず、今までの行為に対してきちんと沙代からの報いを受けるまでがセットだった(意図してではなく結果として)。
この後に、狂骨に襲われる医師たちが「お許しを」って言ってたけど、ここに重なってるなと感じた。謝ったとて許されることではない。
沙代は水木のことを殺したかっただろうけど、戦争から生き残ったことに対して思うところがある水木にしてみれば、沙代のことを救えずまた生き残ってしまったことの方が贖罪としてはよっぽど適しているなとは思う。
水木は沙代だけを見てくれる存在ではなかったかもしれない。でも、沙代と時弥を救いたいと思い沙代の置かれた環境に対して怒ってくれる大人ではあったってのが悲しい。沙代の求めた愛ではなかったかもしれないけど、れっきとした愛情だった。
妻から人を愛することを教わったゲゲ郎が、今度は水木に人を愛することを説き、沙代の一件で反省をし、最後には鬼太郎を育てる選択を取れるようになるつながりが美しすぎた。
特典の水木見ると、本当に泣いてしまう。何この愛情に満ちた笑顔は。close
これはただのメモですが、もし運命の人というのがこの世にたった1人しか存在しないのなら、ゲゲ郎の運命の人は妻、水木の運命の人はゲゲ郎、紗代の運命の人は水木だったな〜。運命の人が対になるなんて保証はないし、運命の人というのは自分の人生を変えていく人間のことを言うのだなと思った。突然自分の前に現れて、勝手に自分の人生を変えていく存在。
あと、ただのこじつけかもしれないけど、龍賀の女の運命の相手のカラーリングが、濃色(水木→グレー/長田→紺)に赤の差し色なの良い。そしてその男の運命の相手は青系の色っていう。(ゲゲ郎→水色/乙米→青)
岩子を抱えて村を出た水木が、再び墓に埋めてあげるために岩子を抱えるの泣いちゃった...そして、いつも水木はゲゲ郎に対しては何もできていないんだよな...墓に埋めてやることすら。
でもゲゲ郎から「友のいる世界をこの目で見てみたくなった」の言葉を引き出した男だから、きっとそれだけで十分だったんだ。
あと「必ず戻ってくると約束しろ」の約束を守ったの、ゲゲ郎ってどこまでも誠実な男だなって思った。close
十干から娘の名前をとっているのなら、乙米の上に本当の長女が居たはず...あと、少なくとも丁・戊・己の字が入った人がいるはず。
乙米は本当の長女が家から存在を無かったことにされた様子を見て何を思ったかな...この家の子供達はこんなに簡単に存在をなかったことにされるんだと絶望を抱いたのなら、龍賀に縋り付く意味がより強くなるな。
相関図で、本当の家族じゃない人は線の色が違うって情報を見て(ソース分からん)また頭を抱えた。手っ取り早く解釈すると、沙代、時弥は母と時貞の子供ってことだろうな。だけど、沙代、時弥のキャラデザがあまりに似ている(目元、ほくろ)ので母親同じなんじゃなかな...とか思ったり。この相関図に入ってない女と時貞の子供で、養子に入ってるとかもあったり...
そうなると庚子が時弥に執着する理由がさらに複雑になってくるので、ほんと...
でもまあ、若い時の丙江の目元が2人に似ているから、単純に祖母の血を引いているだけかも。close
なんかアクション映画見たいな〜って気分だったので、アクション作画が良いらしいという理由と水木の声が木内さんなんだ〜って軽い理由で見に行ったらまあ大変。
公開3日後に行った時と公開2週目に行った時、比にならないくらい人入っててびっくりした...ぜひロングラン映画になって...
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